2014年09月30日

声優のFIX制について思うこと

 先日『猿の惑星 新世紀』が公開された。嬉しいことに吹替版も上映である。公開に先だって『創世記』のほうも放送され、前作の吹替を観た後で、新作の吹替版も観れるという展開となった。

 ところが、首をかしげる点がひとつ。なぜシーザーの声優が代わっているのか。演じる役者は同じアンディ・サーキスなのに、『創世記』はチョー、『新世紀』は小原雅人となっている。ちなみに、自分はまだ吹替版を観ていないし、小原氏は主役としての演技を披露していると思っている。この記事も、決して小原氏を非難するものではなく、あくまで「FIX」(ある海外の俳優に、同じ声優が常にキャスティングされること)を論じるために、『新世紀』をたまたま例に出しただけであることをご理解いただきたい。

 自分は、声優のFIX制の支持者である。FIX制は、「良質の吹替を作る基本」と考えるからだ。例えば、海外の俳優がまだ無名時代から、その俳優の声をFIXでアテ続けている声優がいるとする。その海外の俳優は、月日を経れば演技もうまくなり、大スターになってゆく場合もある。その声をアテ続ける声優も、アテる相手の演技のクセや微妙な雰囲気を掴んでゆき、同じく演技がうまくなってゆくはずである。そして、その俳優にはその声しか考えられないと思えるほどマッチしてゆく。FIX制により、海外の俳優と歩みを同じくし、声優もまた成長する構図がある。

 チョー氏は、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』から十年以上、アンディ・サーキスの声を担当している。サーキスの演技の機微は掴んでいるはずである。ましてや、前作『創世記』で声を演じているのだから、『新世紀』でもやはりチョー氏に担当してもらい、彼の主演の声の演技を聞いてみたかった。

 「チョー氏は独特の声だし脇役が多いので、『新世紀』の主演はもっと主役らしい声優がいいのではないか」そういった意見や考えが、配給会社側や吹替制作スタッフに出るのは、一方で理解できる。しかしもう一方では、役者の実力をナメているのではないかと危惧してしまう。

 普段、脇役を演じている声優でも、主演となるとまったく異なる演技ができるのである。主役となったとたん、意気込みが変わってくるし、普段は脇で演技を抑えて主役を立てている声優ほど、実力の持ち主であることが多い。なぜなら、主役を立てるために控えめな演技やクサい芝居ができるということは、相当に器用な役者でなくては、とうていできないことなのである。

 昔の洋画劇場をご覧になっていた方は思い出してほしい。『激突!』の穂積隆信=デニス・ウィーバーは?『カリブの嵐』の穂積隆信=ロバート・ショーは? 『明日よさらば』の仁内建之=ジョン・カサベテスは? 『ゾンビ・コップ』の秋元羊介=トリート・ウィリアムズは? 『狼たちの影』の宮川洋一=ジョージ・ケネディは? 『ダークサイド・コール/唇から悪魔』の上田敏也=バスター・ラーセンは?(←これはちとマニアックすぎか…) どれも見事な主役の演技だったと思う。

 だいいち、石丸博也もジャッキー・チェンのFIXになるまでは、洋画では脇役のほうがばかりだったはずだ。ところが、ジャッキーのFIXとなり、ジャッキーが役者として成長し歳もとれば、石丸氏もそれに合わせた見事な演技を聞かせているではないか。

 ということで、結論は「吹替の質を上げるためにFIXをもっと重要視せよ」「役者(声優)をナメるな!」そして「『新世紀』をチョー氏の主演で観てみたかった」ということである。(ただし、チョー氏の体調や仕事の都合などで、キャスティング予定だったのにやむをえず他の声優になったかもしれないので、その場合は不問とする)

 駄文失礼。

 追記(2015/3/3)
 吹替版を鑑賞。シーザーは、台詞も少なく、音声加工されていた。これならチョー氏でまったく問題ない。ということは、恐らくチョー氏がスケジュールが合わなくて、別の配役になったのだな。
posted by 足ランティー脳 at 00:00| 映像業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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